「Copywriter’s Age 」20号 木庭 光さんの記事より
OCCの発足から三十年。今昔の感がある。氷河期のことを、たしか「顔」のどの号かに大島忠雄さん(当時電通大阪支社・PR部)が詳しく書いておられるので、いま記憶に残っていることだけを話してみたい。
ある日、大島さんから、「広告文案家の会をつくりませんか。西田茂数さんあたりからも話がありますが」と誘いを受けた。
文案家は各社バラバラだが、ひとつ同業が結集して、仕事の内容をPRし、併せてお互いの研鑚、助け合いをやろうという趣旨である。
私も即刻同意した。
大島さんの熱心な説得、連絡活動が始まり、西田茂数氏、西尾忠久氏らと頻繁に打ち合せを続けた。昭和二十九年、三十年の頃である。
特筆しておきたいのは、OCC発足には、ほとんど大島さんが中心となって奔走して下さったことである。謙虚で、決してオモテに出たがらない方だが、大島さんのご尽力がなけれは、発足できたかどうか疑わしい、とさえ私は思っている。
いよいよ会をつくるに当って、誰かヘッドにということで、大先輩の松本善之助さんに白羽の矢が立った。
松本さんは当時、独力でアメリカの広告専門誌「プリンターズ・インク」の翻訳権を入手、その内容を紹介する仕事をしておられた。会の名称で難渋している時に、松本さんが「アメリカでは広告文案家のことを、コピーライターと呼んでいる」という発言があり、一同すんなりとこれに決まった。
私の記憶では、わが国に、「コピーライター」という言葉が出現したのは、おそらくこれが嚆矢ではなかろうかと思っている。いうならば、松本善之助さんか、「コピーライター」の名付け親第一号ということになる。
ちなみに、OCCマークのロゴ・デザインは、早川良雄氏のご好意によるものである。
時代は変った。
新しい世代のOCC諸兄姉のいっそうのご活躍を期待している。